>当日は、会場の壁一面に 和紙に生理の血で書いた短歌10首と
包丁だらけの私の写真を 展示しました。
包丁だらけの私の写真を 展示しました。
最近、鳥居さんという方の短歌に惹かれて
「キリンの子」という歌集を買おうかと思っていたのだけれど
その鳥居さんのエキサイトブログを見つけて読んでたら
紀伊国屋で開いた講演会で
生理の血で書いた短歌10首を展示したとかいう上記の記述があり
正直、幻滅した。。。
ブログに掲載されている写真も
なんだかことさらに奇をてらったようなものばかりで・・・
もうおなかいっぱい、ごめんなさいって感じになってしまった。
どうしてだろうな。。。
短歌はとても素敵なのに
あのわざとらしさは、ひたすら残念だ。。。
エキセントリックを売りにしてる?
なんか、鳥居みゆきと、ろくでなしこを足して2で割ったような・・・
ううん、批判してるんじゃないの。
ただ・・・みじめで悲しくなってしまっただけ。
短歌は本当に素晴らしいのにね。。。
その講演会に来た人は
「この短歌は生理の血で書きました」と聞かされて
いったいどう思うの?
そんなのが一面に飾られた部屋の中にいて
いったい何を感じるの?
どうしてそんなキチガイじみたことするの?
できるの?
このことに関しては
生い立ちどうこうじゃなく
心の傷どうこうじゃなく
ただ生きる上での美学の問題だと思う。
そこが相容れない人とは、絶対に「人として」合わない。
生理的嫌悪しかない。